まちの私といなかの私
みなさんこんにちは!
暑い暑い夏が終わったら、暗くなるのがすっかり早くなって来ましたね。
関東以南・以西でも涼しい夜が増えたと、SNSなどで見ています。
北海道は、先日の、私が飛行機に乗れなかった台風の前後は暑かったのですが、ここのところは最高気温20度ちょっとという感じで過ごしやすい日々です。
私は、北海道の田舎も好きだし、東京という都会も好きです。
どっちにも一長一短あると思っています。
どちらにも20年前後住んでいたことが大きいと思います。
私は、元々北海道の田舎の出身ですが、勉強や文化や芸術が好きで、体力もそんなにある方ではなかったし、何と言っても気の合う人が周りにいなかったので、大学進学にかこつけて東京に住むようになりました。
そうは言っても、田舎に住み続ける母や、たまに会ってみる中高の友人たちより、北海道の田舎がどれだけ素敵かを感じているような気はしていました。
私は、北海道がだいすきです。
生まれ育った函館周辺の道南しか知りませんが、冬は雪が積もり、短いけれど夏は暑く、春夏秋冬の全てを存分に楽しめる、素晴らしい土地だと思っています。
職があったり、場所を気にしない仕事ができるのなら帰りたい。
いつもそう思っていました。
そんな中、東日本大震災が起きました。
私は、原発事故後に原発の功罪を知り、自分が子どもを産むとしたら、そして育てるとしたら、安全な食べ物をどうやって手に入れよう?と考えるようになりました。
そして、色々な出会いを通じて、zineのコミュニティを知ったり、海外で自立したコミュニティを作って暮らしている人などを知りました。
縁があって、北海道への移住を本気で目指し始めたのは、2、3年前でした。
その時、私が始めたのは、まず「強い自分になろう」ということでした。
田舎に気の合うひとはそうそういない。ひとりで色々なことに挑戦していくことになるだろう。
だけど、それを「しなやかに」やってみたい。
それでお白湯的生活が始まったのです。
お手本にしたのは、アーユルヴェーダの本も書いている服部みれいさん。
服部さんの著書「なにかいいこと」で、
「本当に変わりたければ、半身浴を何時間もしてみよう」
というのがあって、「???」と思い、引っかかっていたのです。
服部さんが作っている「マーマーマガジン・フォー・メン」第3号で特集された中島正さんの「都市を滅ぼせ」は、特に私の北海道移住に火をつけた一冊です。
「都市機能・経済が破綻すると、人々は農村へ動く。自分の食べ物を自分でつくって行くことが人類が生き残る大きな手段だ。今ある山林、ゴルフ場、レジャー施設、都市のコンクリートを畑にすれば、一人1アール分はあるはず。今すぐ畑をつくって行こう」
というような内容でした。
さて私は、今でこそ楽しく畑をやっていますが、畑仕事が向いていないひとというのもいます。
昔の私です。
昔の私は、体が弱いひとや、研究者タイプ、芸術家タイプのひとなどが、一握りはいつの時代もいて、そういうひとたちは百姓だらけの時代には大変だったろうなあと思っていました。
だから私にも畑は向いていないや、と。
でも今私は、マンガを描いたり教えたり、webで仕事をしたり、zineをつくったりしながら畑仕事をしています。
出来る
と知ったからです。
プランターで、東京で、野菜が。
それまで鉢植えを買ってきては枯らしていた私が。
スーパーに売っているような立派なものにはなりませんが、プランターであそこまで出来れば、根を張る広い畑があれば、もっと出来ると確信しました。
その結果が、これです。
結構サボって、反省して、これです。
しかも、つらいことより楽しいことの方が多かったです!(今年が初めてだったのはあるかもしれないけど)
でも自分でお米はまだ作れません。
(まだ?やる気なのか…?笑)
そういうのは買うしかないですね。
出来る限りでの自給自足って、こんなもんです。
ガスも水道も電気も、それなりに払ってます。
お白湯的生活で、七号食で玄米だけ食べたり、この夏は畑で採れたきゅうりをどう消費するかで頭がいっぱいで、ほとんどスーパーで野菜も油揚げもを買わなかったりもしましたが、体も心も、たまに毒や刺激が欲しくなります。
なので私は、ファストフードの食事、買い物、音楽や芸術鑑賞などを欲して都会に出る機会を待ちます(でも隔週で町唯一のスーパーにモスとミスドの移動販売が来ることが判明。楽しみ〜!)。
ネット通販があっても、実際に手に取って買い物するのって楽しいのです、私は。
一番近い都会は、今住んでいるところから2時間半かかる函館です。ここは実家へ行く時に寄ることが出来ます。
仕事や遊びに東京へ行くこともあります。
これには気の合う友人と会うという楽しみが含まれます。
昔はそれがすごく贅沢なことだと思っていたのですが、東京へ帰省するような感じで、罪悪感がなくなりました。
はっきり言ってガス抜きです。
東京に居ても、お金と時間がなければ、そんなに刺激的な時間ばかり過ごさないのです。
また、自分一人でゆっくりする時間を持ちたければ。
それを知っているので、都会はいいなあ、とはあまり思いません。
恋しいのは友人たちです。
仕事などでお互い忙しいと、友人たちにも1、2ヶ月に一回会うか会わないかになります。
だとしたら、2、3ヶ月に一回、または半年に一回、東京へ行って会うことで良いんじゃないかなあとも思いました。
私は、東京にいても、北海道にいても、ひとりでいるのがとても気楽です。
(おっと、こんなことを書いているとパートナーがやって来ないな!うーん)
でもそれは、そのうち気の合うひとに、何ヶ月か先に会えるという保証があるからです。
そして私は、何かの都合でまた東京に住むことになるかもしれないと、いつも覚悟しています。
覚悟…?笑
北海道に移住してきて、昔読んだ童話の「まちのねずみといなかのねずみ」をよく思い出していました。
「都会は、肌に合わない」
「田舎は、不便で嫌だ」
価値観の違うねずみの話です。
私は、どちらかと言うと、田舎が肌に合いません。
すぐに目立って、近所や知り合いにあれこれ言われてしまうからです。
ちょっとおかしなことをしても紛れる都会は、確かに住みやすいですが、私は今、畑をやりたいので、その辺をなるべく気にしないようにして、都会に行った時に「楽だなあ〜!!」とガスを抜くことで何とかやっています。
どこにどんな理由で住むか。
それは、自分が何をしたいか、
何が幸せか、
をきちんと知ることから始まると思います。
「強くなりたい」と始めたお白湯的生活で、体と心をあたため、私が知ったのは、
「自分は弱い」
ということです。
東京に行ってガス抜きしないとやっていけません。
でも、それで良いんです。
まちといなか。
「自分にとって」の、どちらの良さも知っている私。
いなかじゃないと出来ないこと、
まちじゃないと出来ないこと、
どっちも味わえている私は、幸せだなあ、と思います。
ご家族の理由で、自分の住みたいところに住めていない方もいるとは思います。
そういう方は、ご自分のガス抜きの場所を想っていただきたいと思います。
例えば私は、隣町の図書館や、その近くの神社も、ど田舎にありますが、きれいで、とても好きです。
あと、反対側の隣町の道の駅も好きです。誰かの車を借りないと行けないのですが。
東京にいた時は、大きな公園がだいすきでした(実は東京にいて緑が少ないと思ったことがあまりない)。
まちにも、いなかにも、ガス抜きの場所はあります。
誰かと、どこかと比べないで、
自分が何をしたいか、
何が幸せか、
をきちんと知れば、どこに住むねずみになろうが幸せなのだと、思うのです。
前述の中島正さんは、「都会で文化の享受も経験したが、食べるものをつくるのがいちばん楽しい」というようなことを言っていました。
その気持ちも、すごく良くわかるし、カフェにも行きたい私です。
中島さんと比べてしまうのはむしろ失礼かもしれませんが、私には私の幸せがあるなあ、と、手本にしつつも、自分のやり方をやっていこうと思います。
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